小川新会長の希望によりまして今年から広島漢方研究会が東洞祭の運営に携わることになりました。
第九回東洞祭は東洞顕彰碑の前にて顕花式をいたしました。今回は急でしたので東洞祭関係からは講演活動をいたしませんでした。日本医学史学会広島支部の演題を聞かせていただきました。
●広島大学医学部教授・医学資料館館長の片岡勝子先生↑によります『星野良悦の木骨について』と言う特別講演は大変興味深いお話でした。
1790年ごろ、医者の星野良悦は近所に顎がはずれた人を治す無資格の医者がいるのを知り、人体の骨格を詳しく知りたいと思うようになります。当時は解剖や骨をさらけることはご法度でしたが御上に許可を得て罪を犯した5人の海賊の死体を譲り受け、蒸して肉をはずして土中に埋め、しばらくして掘り出し骨を観察したそうです。
1792年に人骨は驚くほど正確に木で復元されました。1つ欠けていた骨は舌骨だけで、これは罪人が処刑された時、喉を突かれて舌骨が破損したためだろうと考えられています。
頭骸骨においては頭骨縫合も正確に復元されており、どうやって縫合を外したのだろうと不思議がられています(頭蓋骨の中に水で湿らせた大豆を入れ豆が膨張するのを利用して縫合を外したと考えられています)。また外からは見えない頭蓋骨内部も全く手を抜かず復元しており、星野良悦の情熱と当時の職人の技術の高さを示しているそうです。木骨は広島市指定重要有形文化財に指定されているので破壊的検査が出来ない関係上、材質である木の特定はなされていません。磨かれた素木の上に胡粉等を用いた塗料が塗られ全く骨と紛わない仕上がりになっているそうです。
星野良悦が作らせた木骨頭骸骨部位 非常に精巧に作られています。
仙骨と外せるように細工された腰椎部分↑精巧な木骨を製作し1798年に江戸に持参して解体新書を著した杉田玄白や前野良澤、大槻玄澤等に見せたところ絶賛されました。よって星野良悦は一躍有名医者になります。当時の医者番付でも番外に載せられるほどの人気者となりました。
右欄外に特別表示された星野良悦の名前↑●次に福山市歴史博物館・学芸員の園尾裕先生↓から『長崎遊学の福山地方医師たち』と題する研究発表がありました。
活人堂・小畠玄雄という医者が長崎で蘭学を習得して福山の近郊、今の地名・駅家地区に開業し繁盛して財を成したことが石碑や墓碑に記されているそうです。
このように書類では消失した歴史が墓碑などの書き込みに見出せる可能性があることを強調されていました。歴史の専門家としての研究姿勢が興味深く思えました。
●広島市で産婦人科を開業する江川義雄先生は『ヒロシマ原爆被爆下の県医師会長大原博夫、市医師会長吉田寛一先生の活動について』と言う研究発表をされました。
江川義雄先生↑●歯科医の石川武憲先生は『石見根付師の解剖学的観察力と技能』と題して研究発表をされました。
石川武憲先生↑日本で一番古い入れ歯の話しは大変興味深く聴くことが出来ました。
木で作られた古い入れ歯↑●門前弘美先生は『華岡青洲に魅せられて』と題する研究発表をされました。
門前弘美先生の発表↑以上、日本医学史広島支部の先生方のお話しを聴かせていただき、来年からの東洞祭関係の運営に参考になる点が多かったと思います。
●講演修了後、懇親会が開かれました。広島漢方研究会からも7人の参加者がありました。
先ず医学史会の方々から乾杯の挨拶↑
左から・・・気まぐれ広島人・優秀な生徒・川ちゃん@
左から・・・木村さん・超天才・山崎先生
超天才・佐々木良忠広島漢方研究会の会員の皆様!東洞祭の重要性を認識いただきまして今後の運営にご協力ください。
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